死に至る病

自分のどこが嫌かって、自分がどんなときに心底惨めかって、それは誰かに心を傷つけられたときに、というか相手が自分を傷つけようと意図しての言動ならまだこっちも敵対心を持てるからいいんだけど、そうじゃなくて、咄嗟の疑念とか、つい漏れ出た本音とか、そういう意図しない言動で自分が傷ついたときに、つまり相手はそのつもりがなくても「俺は今の傷ついたよ」ってときにさ、それを相手に言えないんだ。


そういうときって、相手は興奮状態というか、平常心じゃない、冷静じゃないわけよね。
俺に対して不満やなにかしらの募る思いがあるか、はたまた俺とはまったく関係ないところでストレスが溜まってるとか体調がよろしくなくてイライラしてるとか理由はいろいろあると思うんだが、とにかくピリピリしてるわけじゃん。


そういうときにされる不穏な言動がね、向けられる攻撃性がね、悪意がないとわかっていてもものすごく怖く感じるのね。


これは幼少期に不仲な両親のケンカを目の当たりにしてきたことが原因のトラウマ。
親のケンカなんて子供にはなんの非もないし関係もないんだけど、子供って「これは自分のせいかな」とか「これは自分がなんとかしなきゃ」って責任を感じちゃうんだよね。


そのときに「おいふざけんなよ!ケンカなんてするな!お前らのせいで俺が気分悪くなるじゃねえか!」って言えてたらとんなに楽だったろうな。
そんなこと言えるわけないよね。子供に。
子供は怯えるだけなんだよ。


そのときに身についた反応のクセ、思考のクセは根強くて、ことわざで「三つ子の魂百まで」っていうけどあれ本当にそうだなと思う。
親に対してだけじゃなく人間関係全般に影響し続けるんだ。


たから理不尽なことが見に降りかかったときに、その理不尽さに意識が行くんじゃなくて相手の感情をなんとかなだめようとすることに意識が行っちゃう。
本当はそこじやないんだよ気にするところは。


「なんでそんなこと言うんですか?」「なんでそんな言い方するんですか?」「それは誤解です。俺が言いたかったことはこういうことです」「俺はそんなこと思っていません」
はっきり言いたい。はっきり言えたらいいのに。


でもダメなんだ。咄嗟に謝っちゃうんだ。愛想笑いしちゃうんだ。怒るんじゃなくてなだめすかそうとしちゃうんた。


そういうときにさ、本当に自分が嫌になって、本当に自分が惨めで、消えて無くなりたくなるんだ。
傷ついたことよりも、傷ついたことに怒れない自分が悲しくてしょうがはいんだ。


なんとか昔よりは自分の意思を伝えられるようにはなった。
でも、まだまだそういう場面は多い。


だから深い人付き合いはできないししたくない。
好きな人ほどなんかあったら悲しくなっちゃう。
そんな思いをするくらいなら適度な距離を保って付き合っていた方がいい。
そんな風に思っちゃうんだよな。


ではまた。