学生よ、教師の戯言(たわごと)に侵されるな!

【怒っています】

ある日の夕方、車通りの少ない住宅街を歩いていたのだが一軒の家の前を通った。

道路に面して駐車場がありそこに男子高校生3人が座り込んで話していた。道路にははみ出していない。

ちょうどそこに彼らの先生らしき人が自転車に乗って通りがかり彼らに尋ねた。

「そこ君たちのうちの誰かの家?」

すると一人の学生が姿勢を正し「はい、自分んちです」と答えたのだが先生らしき人は学校帰りに、つまり制服のままで地べたに座って話し込む態度を注意した。

座り込んでいた学生たちは立ち上がり頭を下げていた。

どうでもよくね?

なんで自分んちの敷地で座り込んでお喋りしてるのを学校の先生に注意されなきゃいけないの? 騒いでるわけでもないしなにも周囲に迷惑な行為なんかしてない。 その注意になんの意味がある? いたずらに子供を萎縮させるだけじゃないのか? それが先生の、大人の役割か? 本当に大人が大人として子供に教育すべきことはそんなことなのか?

大人は「良かれと思って」注意する。 転ばぬ先の杖だ。 子供が将来つまらぬことで低く見積もられたり他人の不快に気付けぬ大人にならないよう、良かれと思って注意する。 それがどれほど子供の自立心の育みを阻害しているかも考えずに!

子供は何となく萎縮しとりあえず反省の態度を見せているにすぎない。 そうと分かってやり過ごしているだけならいい。 まずいのは反射的に「何となく」「とりあえず」謝り大人の機嫌を損ねぬよう振舞ってしまう癖がついてしまうこと!

大人よ、子供に顔色を伺わせるな。 そんなことを覚えさせるな。 そんなことをするのが「大人」になることだと思わせるな。

子供のときに身につけた癖はなかなか治らない。 それが悪癖だとは気づきもしない。

時代にそぐわぬ、時代遅れの古い常識や慣習。 頭の中がアップデートされていない大人に「教えられる」子供たちの不幸よ。

親や教師やその他の大人が君たちに教える常識や善悪は、それは「その人にとっての」価値基準なのだ。 ああ、あなたはそうなんですね、とだけ受け取っておけばいい。 そうやっていろんな価値観に触れその中から自分の生き方に合うものを選んでいけばいいのだ。

萎縮するな、思い込むな、自由な精神でいてくれ。切実に願うよ。

俺は学校の先生という人種が概ね嫌いだ。 一度社会人経験を積んでから教職に就いたならまだしも、学校生活の延長で教師になった奴に専攻科目以外の、人間というのわけの分からん生き物の一体何を、人生という素晴らしき矛盾と合理の不可思議の一体何を教えられる。

ではまた。