日本人が桜を好きな理由

【桜は日本人の美意識である】

「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛の句は一度は目に耳にしたことはないだろうか。
また「花は桜木 人は武士」という慣用句はどうだろう。
これらを引用せずとも日本人は桜が大好きであり日本を象徴する花として愛でられている。


それはただ桜の花が綺麗だから好きなわけではなく、花びらがまだ色づいたまま枯れる前に一斉に散る姿に「潔さ」の精神を見出しているからだ。


「月は惜しまれて入り、桜は散るをめでたしとする」という「引き際の美学」は武士道にも通じている。


「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」とは武士道の指南書である『葉隠』の一節だ。
これは命を軽く扱えということではなく、よく生きるためには時には死を怖れず命を賭ける覚悟が必要であるということだと思う。


まだ盛りであっても引くときはさっと引く。
身の処し方、命の使いどころの美学が桜の散る姿に重なるのだ。


加えて花は小さく可憐で香りもほのか、色も淡くこれがまた日本の美意識にドハマりしている。
日本は小さな工芸品に意匠を凝らしたり細工を施すのが得意だ。
表からは見えない装飾に贅を尽くしたり色も派手よりは地味な色合いの微妙な濃淡を味わう。
そんな日本人の感性に桜はマッチしている。


日本の桜と対照的なのは西洋の薔薇。
一輪が大きく強い香りに真っ赤な色味。
花は茶色く枯れ落ちた後に残すのはトゲのみ。


「薔薇は桜の単純さを欠いている」と述べたのは新渡戸稲造である。
『武士道』を著している新渡戸もきっと桜と武士道精神の繋がりを感じていたに違いない。


これは薔薇がダメなのではなく飽くまで桜と比べるとこういうところがあるよという話である。
それにしても桜もバラ科であるというのは驚きだ。
今の薔薇は品種改良されて花弁が増えているが原種は桜と同じ5枚の花弁らしい。
つまり薔薇は人工的に作られた美しさなわけだ。


薔薇も薔薇で俺は好きだ。
桜には思いを重ねることはできてもプレゼントには不向きだ。
薔薇には薔薇にしかない魅了や役割がある。


美しい薔薇も道端で気軽に見かけられる機会はほぼないが桜はあちこちに植えられていて毎年我々の目を楽しませてくれる。


4月は出会いと別れの季節。
普通、別れは寂しいものだ。
しかしそれは心機一転、新たな出会いの契機でもある。
満開の桜は散りゆく姿にさえ希望と期待を胸に抱かせる。


人もまた去り際にあっては潔く、別れゆく相手に爽やかな余韻を残す桜のように在りたいものだ。


ではまた。