書きたい衝動の正体

これまで浮かんでは消えていった言葉を、これからは残していく。


その場で思いついただけで満足しないできちんと言葉にして残したい衝動ってなんだろうと考えたらそれは自分の言葉に価値があると思えるから。


今インスタグラムのストーリー機能(投稿から24時間で消えるタイプ)を一番使っているんだけど、そこでいろいろと走り書きした言葉に少なからぬ反響をもらえることがあって驚くことがある。


自分が投稿するのは日々の生活の中で感じたことで誰に向けたわけじゃない魂のつぶやきみたいなものだ。
そのつぶやきがまた誰かの魂に響いていることが素直に嬉しい。


書くと頭の中が整理整頓されるとはよく言われるがそのとおりで、つまり「書きたい」とは自分の頭の中の物の位置を明確にして余分な物は捨て、見やすく配置しなおすことだ。


これを自分だけが見るノートに書く分には自己満足の域なのだがブログなどの人目につく媒体で書くことは整理整頓術の公開であり、人目に晒されることでその術はさらに磨きがかかっていくしそれを見た誰かの役に立つかもしれない。


ブログを書きたい衝動っていうのは頭の中に思いがたくさんあってそれを自覚しててそれがぐちゃぐちゃなことに耐えられない衝動なんだな。


なんで頭の中を整理したいのだろう。
なんで思いが散らかっていることに耐えられないのだろう。
たぶん、その散らかっている思いの中に本当の自分が埋もれてしまっている気がしているのだ。
なぜ埋もれてしまったのか。ゴミ山に埋もれている自分を助け出してあげたい。


頭の中のゴミ山は自分にとっていらない情報の山。
生まれて育っていく過程でため込んでしまったもの、昔は必要だったけどもう今はいらないもの、欲しくないのにもらってしまったのもの、いらないのに押し付けられてしまったもの、なんとなく受け取ってしまったもの、もったいなくて捨てられないもの。


ゴミ山に埋もれているのは自分の心だ。
ゴミ山に押しつぶされそうで苦しいのだ。


頭の中を整理することは心の救出であり心のリハビリだ。
ただ生きていくだけなら、ただ息をしていくだけなら生きていける。
でも、もっと自由に足腰を動かしてのびのび生きていきたいならリハビリをしなくては。心のリハビリを。


ブログを書きたい衝動、頭の中を整理したい衝動、情報に埋もれてしまった心を助け出したい衝動、自由に生きていきたい衝動。
すべての衝動の源は、心の息苦しさだ。

 


ではまた。