自己嫌悪、四国お遍路、人生は旅

はじめまして。ひろすけといいます。
インスタグラムでのプロフィール欄では本名丸出しです。

 
 
 
 
 
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A post shared by 齊藤 洋雄 (@hirosuke.taro)

このブログは、自分の性格の嫌な部分は変えようのない固有の性質だと思っていたら34歳のときに「これは幼少期の家庭環境のせいだ」ということに気付きそれから千葉県某市の実家から鹿児島県の鹿児島港まで野宿しながら歩いて旅をし、船で屋久島と沖縄に行って遊んで帰りは鹿児島からギアなしのママチャリで帰ってくるという経験を経て自分を取り戻していった私が日々思ったこと感じたこと考えたことを綴ってゆく雑記帳です。


この旅にさきがけて、私は2018年に四国八十八ヶ所霊場参拝の旅、いわゆる「お遍路」を野宿の歩き旅で経験しています。


この「野宿」という不便さによる普段の生活のありがたみの気付きと「歩く」という遅さが自分の人生の歩みそのもののスピード感とマッチしているのだという気付きが、自分を知りどう生きていったらよいかの方向性を決める人生の大きな転機となりました。


私は私というフィルターを通して世の中の出来事を見ていると同時に、世の中の出来事というフィルターを通して自分を見ています。世の中を見渡してただ起こった出来事に反応しているだけでは自分に対する理解は深まりません。

「なぜ私はそう感じたのか」という自分に対する問いを立てることが大切です。


ブログを書いてゆくことは今まで漠然としていた感情を整理してゆくことであり自分に対する理解がより深まります。
この雑記帳はそのようなブログです。
誰かを評価しようとか誰かのためになろうという意図はありません。


しかし人生に悩み試行錯誤してきた過程を、そしてその過程を経た私が今どのように世の中を見ているかを公開することで同じように悩んでいる誰かのためになったり誰かの新しい視点の気付きになれたのなら、それはとても幸いなことです。


人生は旅です。
誰も一所(ひとところ)に留まることはできません。
人も場所も想いも、皆うつろってゆきます。
同じ人といるようで、同じ場所にいるようで、同じ想いでいるようで、それは決して不変ではなく日々刻一刻と変化しているのです。

そのことに自覚的でなければなりません。
不変だから安心なのではなく変わりゆくことを知っているからこそ心に平穏が訪れるのです。
人生の中に旅があるのではなく、旅の中に人生があるのです。


このブログが誰かの旅の道標に、励ましに、息抜きに、慰めになることを祈って。


ではまた。