実家の親が水道業者にぼったくられた!! その③

【人間を学び己の過去を忘れるなかれ!】

 

というわけで全3回に渡ってお送りしているこの話ですが今日が最終回です。

 

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過去2回はこの事件の当事者間双方の問題点を挙げて考察してきたが、最後はこの事件の現場にはおらず後に親から報告を受けた俺の問題点を考えていく。

 

そもそも俺の問題ってなんだ?そんなものあるのか?と思われるだろうが明確に二つあって、それは「親との間に信頼関係が築けていないこと」と「報告を受けたときに親を責めたこと」である。

この二つは同じことを別の角度から見て言い表したようなもので、親が業者にお金を振り込む前に俺に相談しなかったのは「こんな話を相談したら責められるんじゃないか」と思っていたからかもしれないし、実際に俺はお金を振り込んだと聞いてうんざりした口調で親を責めた。

前回のその②で書いたが、人はトラブルの事例や対処法が知識として頭でわかっていても実際に自分の身に起きたときに冷静に対応できるかは場数を踏んで鍛えていくしかないのだ。

親も長く生きてきてそれなりに山あり谷ありの人生を歩んできているので似たようなトラブルは初めてではない。しかしそれは「似たようなトラブル」であり「まったく同じトラブル」ではない。とっさに応用が利かないことは当然ある。

それなのに、そうと「頭でわかっていた」のに俺は親を責めてしまった。

なんのことはない、俺も親に対して親と同じ過ちを犯してしまったのだ。

自分だって無知で弱く流されやすく忘れやすく慌てん坊で、過去に何度も人に話すのも恥ずかしい失敗を繰り返してきて、そしてきっとこれからも失敗していく人間なのに自分のことを棚に上げて親を責めてしまった。

これは内心で親のことを見下している証左であり思い上がりだ。

なまじ付き合いが長い間柄では特に、繰り返される相手の欠点(と思われる言動)にうんざりしがちで「またこんなことやって!」と腹を立てやすくなる。

こういう感情に囚われるのは人間という生き物に対する理解の浅さと自分という人間に対する理解の浅さだ。

自分はそんなに立派な人間か。たとえ立派なんだとしてもそれを他人にも当てはめて評価してはならない。人間だもの。そこが解っていない時点で全然立派な人間じゃないとう自滅の理屈。

 

優しくありたい。そう思っていてもなかなか言動に落とし込めない。優しくするのも知識がいるし技術だし訓練が必要で、それが自然の振る舞いにまでなったときに人は意識して「優しくする」ことから脱して「優しくある」存在になれる。

そこまでいくには道のりは遠そうだしそんな高尚っぽい存在になる必要もないのかもしれないけど、今回の俺の親への対応は後から考えてちょっと考えさせられるものだった。

なにか困りごとがあったら一番に相談されるような信頼関係を築けていない。たしかに「それくらい自分で調べろや」とか思うこと多々あり。マジで。

でもそういうプレッシャーの積み重ねでこの先また大きな失敗を未然に防げないかもしれない。

もはや絶縁したいほど嫌いな親ならどうにでもなれって思うんだろうけど、一応兄弟も含め家族仲は良いほうだと思うしそのまま平穏に行きたいと思っているので今後も優しくしていこうと、優しくあれるように付き合っていこうと思うわけです。

 

本当にね、俺だって払わなくていい金をアホみたいに払ってきてしまった過去があるのにね、親を上から目線で責めてしまって、反省というか恥ずかしい限りですわ。

水道屋ぼったくり事件のお陰、と言うとまだ少し業者には腹が立つけど、自分を振り返るいい機会にはなりました。

 

そして皆さん!水道屋のみならず、鍵のトラブルや住居のトラブル、儲け話には十分気をつけましょう!!

そんでもし引っかかって損してしまったら、深追いするとまたさらに時間も金も精神も費やしちゃうかもしれないから引き際を見極めてスパッと諦めて次に騙されないための糧にしましょう。

そして恥ずかしがらずに周囲の人たちにも情報として経験談を共有しましょう。

 

 

ではまた。